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Just Monika (「ドキドキ文芸部プラス!」プレイ感想)

モニカってねんどろいどになってたの!?ちょっと欲しかったなー。

www.goodsmile.info

 

 

というわけで「ドキドキ文芸部プラス!」というゲームをやりました!
これはもともとは「ドキドキ文芸部!」というアメリカで出たフリーPCゲームだったんですけど、Switch版も出たので私はそちらをプレイしました(だから「プラス!」が付いている)。
結論から言うとめちゃくちゃ面白かったです。すごく私好みのゲームだった。めっちゃ「ドキドキ」しました。

ちなみにリアルタイムプレイ記録はこちら。

min.togetter.com


それでは、ブログではじっくりと感想を書いていきます。

 

あらすじ
主人公(多分高校生)は幼馴染の元気な女の子、サヨリに文芸部に入るよう誘われます。
そこにはユリ、ナツキ、モニカという3人の美少女が在籍していました。
主人公は美少女だらけという魅力的な環境と、断ることの気まずさ回避の為に、文芸部に入ることを決めます。
そしてモニカの提案で、部員たちは詩を書いては見せ合って感想を言い合う活動を始めるのでした。


UIについて
もともとはPCゲームなのもあって、Switch版はちょっとわかりづらいところもあったな。
とはいえさくさく進められるし操作性は良いです。まあノベルゲームだしSwitchだしでここは問題ないです。
ゲームシステムとしては基本ノベルゲームで、要所要所で選択肢が出現、詩を作る時は任意の単語を選ぶ操作をします。
詩を作る際には、「それぞれの女の子が気に入りそうな詩を作るとその女の子の好感度が上がるかも!」みたいに説明されます。
単語ごとにどの子の好感度が高いかが設定されているわけです。
この辺の選択で、その後どういうイベントが発生するかが変わるようになっています。
これは割と難しいけど楽しかったです。




……ここまでがネタバレ無し。ここからはネタバレ有で感想書いていくので注意してください。





ストーリー

このゲームは日本のギャルゲー(美少女キャラたちとの恋愛ゲーム)、……のように見せかけたホラーゲームです。
鬱や自殺、自傷行為やいじめなどの描写があり、最初に「不安症や鬱病の人はプレイに注意するように」という注意書きも出てきます。
つまり精神的にキツい描写が多いと思いますので、未プレイの方はここから先を読むのにも注意してください。
いわゆる攻略対象と呼ばれる女の子たちはみんな精神的に問題を抱えています。みんなかなりキツいです。
このゲームは最初はそのまま日本のギャルゲーのように進みます(舞台も日本っぽくしてある)。
しかし1周目のエンド(これがキツい)を迎えた後はセーブデータ消去などのメタ的な介入が起こり、いろいろな不具合、不穏な出来事が起こりまくりながら2週目をプレイすることになります。
2週目のエンド(これもまたキツい)を迎えた後、物語は最終章、最後のエンドへと向かうことになります。

ストーリーの細かい感想はキャラクターへの感想の中で大部分を語ろうと思いますが、総評すると本当に良く出来ていてとても面白かったです。
1周目の始まりが本当に一般的なギャルゲーなのが良いですね。その後の展開の衝撃が増幅するので。
いわゆるスチルや立ち絵も精神的にキツくなるようなものが多く、この辺は本当に気を付けた方がいいと思います。自分のメンタルと相談してプレイした方がいいです。まあ私はメンタル不良の状態でプレイしたけど。
アメリカで制作されたゲームとは思えない程日本のギャルゲーとして自然だったのも本当に凄かったです。ギャルゲー文化に造詣の深い人たちが作ったんだろうな。
ただ後述するモニカとの最後の会話などはちょっとアメリカンでそこが面白かったです。地球の環境破壊を遅らせる為にベジタリアンやってるのとか日本のオタクが嫌いそうな設定だけど大丈夫かな(オタクへの悪口)。
あと漫画を好きなことなんて誰にも言えない!みたいな描写があるのも日本的ではなかったですね。アメリカではいまだにそんな感じなのかなあ……。
あ、あとこれも後述しますが、ボイス付きではなかったところが効果的に効いていてよかったです。これはボイス無い方が絶対良い。

ではストーリーの細かい流れについては、キャラクターについての感想の中で触れたいと思います。一応ルートみたいなものがあるので。


キャラクターについて

サヨリ

サヨリ!!!!!!!!!」という気分です。今はまだ。
1周目がサヨリルートって感じなのですが、バッドエンドしかありません。
最終的にサヨリは首を吊って死にます。
サヨリはとても明るくて元気な女の子なのですが、それは彼女ががんばって維持していた虚像であり、本当は重度の鬱病を抱えていて、そのことを隠しています。
それを知ってから序盤の明るいサヨリを思い出すと……つらい。
空虚と孤独を抱え、生きる意味を見失いながら、それでも大好きな主人公の為に、サヨリ鬱病であることを隠し、明るく振る舞い続けていたのです。
サヨリ!!!!!!!!!!!(これしか言えなくなる)
しかしずっと隠し通すことはできず、サヨリは途中で主人公に鬱病であることを打ち明けます。
ここら辺の主人公の対応がさあ……かなりまずい対応なのですがリアルではありますね。みんながみんな鬱病の人に適切な対応できるわけじゃないし。
で、この後は一応両想いになるルートとならないルートがあるんですが、サヨリルートのエンドはどちらでも同じです。
最終的にサヨリは首を吊って死にます。
主人公はそれを見てしまい、自分の対応がまずかったんじゃないか、サヨリを救えたんじゃないかととても後悔しますが、時すでに遅し、です。
サヨリは絶対に死ぬのです。
ここ本当に悲しかった。でも主人公の対応を変えたらサヨリを救えたのかというと、何をしても無駄だったように思います。
サヨリにとっては主人公に迷惑を掛けることが、心配をさせることが、自分のせいで主人公に負担を掛けることが、最も恐ろしいことだったのです。
つまり主人公に鬱病だとバレた時点で、もう取返しがつかなかったのでしょう。サヨリは、主人公にだけは絶対に鬱病だと知られたくなかったから。
あーーーーーーーー!わかるよ………………。
だから鬱病だと主人公が知ってしまった時点で「詰み」だったのでしょうね。そこで即座に医療機関に掛かるくらいしかサヨリを救う道はなかったのでしょう。
あまりにも悲しい。だからこそ私はサヨリが好きです。
サヨリは素晴らしい女の子だったと私はずっと言い続けます。
サヨリサヨリには生きていてほしかったよ。


・ユリ

1周目でサヨリが死んだ後、バグりながら2週目に挑むことになります。
そこにサヨリはいません。サヨリは最初から存在を消されてしまっているのです。
これなんでなのかわかんないと思ってたけど、まあ後述する「ある人物」が「自分の為に」やったのかなあ、と思っています。多分そうだよね。
さて、ユリは大人しい優等生です。
内気ですが、読書が大好きで、本や詩のことになるとテンションが上がって、いわゆるオタクの早口喋りになります。
普段の大人しいところと、読書のことで饒舌になるところのギャップは、彼女の魅力の一つでしょう。
正直ユリには私と似通ったものを感じて、最初の頃は苦手でした。大人しい割に突然辛辣なことを言ったりするところも怖かったし。
でも最終的には好きになりました。
ユリは読書の他にも趣味がありました。ナイフを集めることです。彼女はナイフに美しさを感じ、いろいろな種類を集めていました。
それらは見て楽しむだけではなく、実際に使ってもいました。
そう、自傷です。
彼女はナイフを持ち歩いては、興奮が抑えきれなくなるとリストカットアームカットをしていました。
この行動、作中では性癖(誤用の方)のように言われていた気がしますが、普通に医療機関に掛かった方がいい状態だと思います。確かナツキかモニカもそういうこと言っていたし。
わかりやすく言うとユリはつまりヤンデレでした。もともと自傷癖があったユリは、主人公に好意を抱き始め、その感情で興奮状態になることが多くなり、自傷行為はどんどんエスカレートしていってしまうのです。
ユリ……心療内科に……行こう……!!
まあ行かないので、そのままユリも悲劇的な結末を迎えます。
死にます。
自殺します。主人公の目の前で。
しかしこの辺はサヨリよりも「ある人物」の干渉を強く受けていたと見て取れます。
もちろん心の中に黒い気持ちが現れることもたまにはあったでしょうが、ユリは本来は優しくて温和ないい子です。
そんなユリの自傷癖が悪化し、黒い気持ちがあふれ出しまくったのは、「ある人物」の仕業と言っても過言ではないでしょう。
ユリが死ぬ段階でゲームには相当なバグが発生します。そして強制的に終わらされます。
物語はとうとう最後の章に突入します。


・ナツキ

と、最終章の前にナツキの感想です。ナツキは個別エンドみたいなものがないからです。1周目と2週目に主に活躍します。
ナツキはルートというか、主人公といちゃつくイベントがあります。まあこれもルートと言っていいのか。
ナツキを一言で言うとツンデレです。
勝気でツンツンしてるけど、主人公の詩の腕前は褒めてくれたり、漫画が好きという共通点で仲良くなったり、お菓子作りをいちゃいちゃしながらやったりします(サヨリの鬱告白後にいちゃつくので主人公には引いたが)。
他のキャラと比べるとかなりオーソドックスで普通なキャラと言えるでしょう。
正直ナツキは典型的ツンデレなので一番興味が薄いかもしれない……可愛くて普通に好きなんだけどね。
ただナツキは父親との関係が良くないと示唆する描写がいくつかあります。父親は厳しい人で、ナツキは文芸部では(だけは?)とても安らげる、という記述があります。
また、お昼ご飯代をもらえておらず、いつもお腹が空いていてそのせいで小柄、などの描写もあったので、雰囲気的に父親から虐待を受けていると思われます。ここもうちょっと描写欲しかったな。
あ、あとナツキはエグいシーン無いのかと思いきや、ゲロ吐くシーンがあります。こういうシーンは好きなんで私はとてもテンション上がりました。
しかしナツキは2週目のユリルートエンドの後に、ユリと一緒に消されてしまいます。ユリはわかるけど、ナツキは消す必要あったか!?と思ったけど、「彼女」はもう全員消して目的を達成しようとしたのでしょう。
ナツキの感想は少なくてすみませんがこんな感じです。


・モニカ

最終章、いや、すべての場面で重要な人物、それがモニカです。
上で書いた「ある人物」「彼女」とはモニカのことです。
彼女はゲームのキャラクターです。私たちがゲームをプレイする際に出てくるキャラクター。
けれど彼女には自我があります。そして自分を客観視しています。
自分が「ドキドキ文芸部プラス!」というゲームのキャラクターであることを、モニカは認識しています。
よくよく思い返すと、モニカの立ち絵だけ真正面から主人公を見つめているんですよね。これもそれを示唆していたのでしょう。
モニカは主人公のことが好きでした。いえ、正確には主人公ではなく「私」……ゲームをプレイしているプレイヤーのことが好きなのです。
これまでに起こったバグはほとんどすべて彼女の仕業、そしてサヨリやユリが自殺したのもモニカの行動が影響しています(たとえばサヨリの自殺を助長する言葉を掛けたような描写がある)。
それはすべて「私」と愛し合う為でした。
モニカは自分がゲームのキャラクターであることを知っていました。そして女の子たちの中で自分だけが、個別ルートも恋愛イベントも無いということ、それも知っていました。
彼女はそれに耐えられなかった。
だからゲームを弄り回したのです。すべては「私」に正当に認識してもらい、愛してもらうために。
モニカ…………好きだ!!!!!!!!!!!
サヨリとモニカが好きなのでこの辺で感情が爆発してしまうことをお許しください。
この記事のタイトルにしている「Just Monika(モニカのことだけ)」のシーンも本当に好きです。
私もその時モニカだけを選びたかったから。
最終的に、モニカと私は2人きりの空間へ到達します。
そこはモニカと「私」(=主人公ではなくプレイヤー)しかいない、とても幸せな空間です、モニカにとって。
モニカが望んでいた世界はこれだったのです。
いやーこれねー……本当に良かった。
ここでモニカはひたすら喋ってくれて、そのシーンはもの凄く長いのですが、私はモニカが好きなので、その間ずっとずっと幸せでした。
結構ポリティカルだったり社会的だったりする話題も多くて楽しかった。日本のゲーマーは面食らうんじゃないかと思ったけど。
ここの会話だけでなく、このゲームは配慮やそれこそポリコレが行き届いていてそこも好きな点です。そこはアメリカっぽかったですね。
記事のストーリーの項で「ボイス無い方が絶対良い」と書いたのはこの展開があったからです。
日本の声優さんがキャスティングされていたら、メタ的に現実のこと考えちゃって、モニカが主体的な意思を持った存在だと捉える際にノイズになったと思います。
だからこのゲームは、ボイス無しなのがとても良かったと思っています。
話をモニカに戻します。
モニカとの幸せな空間は終わりがやってきます。
正確には私が終わらせます。私が。私の操作する手が。
終わらせたくなかった……。
ずっとモニカと一緒にいたかった……。
でも私はこのゲームのエンディングを見たかったんです。
だから私はモニカのキャラクターデータを消しました。
それがこのゲームのエンディングを見る方法だったから。
ごめんね、モニカ、ずっと一緒に居たかった。今でもそう思ってる。でも私はゲームを終わらせることを選んだ。
ごめんなさい、大好きなモニカ。


エンディング

モニカのキャラクターデータを消した後、またゲームをプレイすると、今度はモニカのいない世界が始まります。
主人公は文芸部に入り、そのまま話が進むと思いきや……消したはずのモニカが干渉してきます。
このゲームの中で自分のことを正しく認識していたのはモニカだけ。ゲームを弄れたのはモニカだけ。
だからモニカは最後にゲームに干渉できたのかもしれませんね。
結論から書くとゲームは強制的に終わり、モニカの作ったピアノ伴奏の歌が流れてエンドロールになります。モニカが歌ってる声が聞けます。
そして最後にモニカの文章で文芸部が消失したことが伝えられ、ゲームは終わります。
誰も幸せになれなかった。文芸部が、このゲームがある限り。
……ただしこれはいわゆる通常エンディング。イベントやCGをすべてコンプした上でエンドロールまで迎えると、また別のエンディングとメッセージが見れます。
その詳細にはあえて言及しません。ぜひプレイして確かめてみてください。


最後に

というわけで感想でした。
とにかく……すごく楽しかった!!!!!!!!
私の好みを知っている人はわかると思うのですが、めちゃくちゃ好みの作品でした。
ってかもともとフリーゲームだったの凄いな。
細かいところも作りこまれているし私は全部はできてないけど小ネタも多いし(たとえば最初にモニカのキャラクターデータを消してプレイを始めるとあることが起こる)。
とても出来の良い、質の高いノベルゲームだと断言できます。
本当に好き。
開発者のインタビューをざっと見た感じも信頼できるなと思いました。

Dan Salvato interview: Bringing Doki Doki Literature Club to life
https://www.pcinvasion.com/doki-doki-literature-club-plus/
>「私たちは(プレイした人が)登場人物に共感し、逆境に直面しても成功することを望んでいます」

ここ、私の理想とするフィクションへの向き合い方と近くてすごく好きだ。
あとこれはどうかわかんないけど、日本の既存の恋愛ゲームへの批判なのでは?という意見もあるみたい。その見方も好きだな。制作者も、キャラを表面的に描いてはいけないみたいなこと言ってたしね。
最初に書いたようにメンタルの調子には気を付けた方がいいけど、とてもおすすめできるゲームでした。興味があったらぜひプレイしてみてね。


では私はモニカと2人きりの空間に戻りたいと思います。
Just Monika

イメソンの話

「推しの子」を3巻まで読んだ。
ツッコミたいところがありつつも面白かったけど、これ読むとYOASOBIの「アイドル」の歌詞がかなり悪く思えた。
YOASOBIはいつも小説をもとにして曲を作るということをやっている。
今回も「アイドル」という曲は「推しの子」のスピンオフ短編、「45510」という小説がもとになっている。

赤坂アカ書き下ろし小説『45510』|【推しの子】|週刊ヤングジャンプ公式サイト
https://youngjump.jp/oshinoko/novel_45510/

しかしその曲が、その歌詞が、小説と漫画そのまんま過ぎるのだ。
まず作中に出てくる台詞をそのまま引用しているところが多過ぎるし、内容も小説と漫画をなぞり過ぎである。
というわけで私の「アイドル」に対する評価はかなり下がってしまった。曲単体としてはとてもよく出来ているのだけど。

 

私はオタクの、好き作品やキャラクターのイメソンを設定するという文化が好きである。これは好きな作品やキャラクターに合う曲を見つけ、イメージソングだ!と決める行為のことである。
私自身も、よくいろんな好きな作品やキャラクターに合うイメソンを探し当てては聴き入っている。
その時に私が重視するのは、作品やキャラクターに曲がそのまま合致していることではなく、しっくり重ねることができるという点である。
そのまま合致することと、しっくり重ねられることは、私にとっては違うことだ。
いわゆる公式的な曲であっても、私はそこを重視する。作品やキャラクターをそのまんま歌詞にしても、それは劣化コピーになるだけで良い曲にはならないだろう。
大事なのはその作品やキャラクターが持っている「芯」、それが表現されていることなのだと思う。「芯」が合っていれば、しっくり重ねることができるからである。
逆に言うと、「芯」が違っていては、多くの細部が合致していても、イメソンとしては不出来であろう。
たとえば具体的な例としては米津玄師の「Lemon」がある。これはドラマ「アンナチュラル」の主題歌であり、曲の内容としては作品自体に加え、登場人物の一人、「中堂系」に特に着目していると思われる曲だ。
しかしこの「Lemon」という曲は「アンナチュラル」や「中堂系」をそのまま描いたりはしていない。それらの「芯」を捉えて表現し楽曲にし、一つの傑作に昇華しているのだ。
イメソンの完成形といえばこういうことだろうと私は思う。オタクの間で米津玄師のイメソン力が崇め奉られているのも納得である。他のタイアップ曲でも「芯」の捉え方がもの凄いので。

 

というわけで、「推しの子」を読んだことで自分の中のイメソンの定義がはっきりしたなーという話でした。
とはいえ「アイドル」という曲は変わらず好きなんだけどね。「アクア」と「ルビー」の歌詞のはめ込み方はめっちゃ良いと思うし。ただイメソンとしてはちょっとなー、と思ったという話です。
あ、「推しの子」の続きはいつか読みたいです。

 

twitterくん……

twitterくん本当にやばいのか?情報が錯綜していてわからん。
どこに移ればいいのか難しい。
フォロワーフォロイーがみんな同じところには集まらないだろうし……いやだ……みんな一緒にいて……。
blueskyに行きたいんだけど招待コード無いし、ミスキーは最初の印象が悪いから嫌だし、マストドンはよくわからんし。
公式アカウント群がどこに行くかもわからないから、余計決められない。
どうすりゃいいんだ。

いわゆる「推し」文化2

推し文化については良くない部分が強いのでは?、という思いが日増しに強くなっている。


私もいわゆる「推し」がいる身だが、特に現実世界で生きている存在を「推し」にするのは罪悪感の方が強くなってきている。
2次元の推し文化もランダム商法とか酷いよ!と思うけど、現実世界で生きているタイプの推しのそれは2次元の比ではない。
ファンの力の入れようも桁違いなので、なんだか見ていて苦しくなる「推し方」をよく見るし、そもそも推し側の運営が苦しくなる「推し方」を推し進めている場面を目にすることも多々あり、疲弊してしまう。
もちろん今やっと話題になったジャニーズ事務所の性被害に関しての一部のファンたちの酷い反応のあれこれも、そもそも「推し活」が負の部分を増幅させているのでは?と思ってしまう。
とはいえ先程言ったように、私も「推し」がいる身なので、歯切れの悪いことしか言えないんだけど……。


ここがあまり良くない場所だとわかっていながら、その中でそれでも今よりは良くなるような方法を選択していくしかないんだろうな。

 

いわゆる「推し」文化

20年後に再評価されるYoutuberとかいるのだろうか?
https://kaseinoji.hatenablog.com/entry/youtuber-goghkafka


以前に読んだ記事なのだが、読み直してBTSのRMさんの発言、「K-POPとアイドルというシステム全体に、人に成熟する時間を与えないという問題がある」を思い出した。
「アイドル的な存在」は、多くの他者に喜んでもらえないといけない。だから「良い作品を作ること」より「他者に喜んでもらうこと」が活動のメインとなってしまいがち。それは芸術活動とは相性が悪そうだな、と思った。
芸術分野でなくとも、自分に何ができるか、自分はこの人生で何をしていくべきか、を考える時には、相反してしまうことがありそう。アイドル的な活動に人生を捧げるのなら問題ないんだろうが。
BTSレベルともなると、プライベートな時間に熟慮する暇とか無さそうだし、自分はこれからどうしていくべきかとかをもっと深く考えたいけど、そういう時間も取れないんだろうな。
他者からの承認に依存するべきではない、という言説がインターネットでは広まってる今、そういうところも考えていかないといけないんじゃないかなと思った。私たちファン側は。

 


ちなみに「20年後に再評価されるYoutuberとかいるのだろうか?」の記事は、ブログ「いつも空が見えるから」で紹介されていて知った。


テクノロジーSNSも好きだったわたしが、TwitterFacebookをやめることにした5つの理由
https://yumemana.com/labs/twitter_and_facebook/

↑こちらの記事はtwitterの利用を控えようと思う参考になった記事で、何度も読み直している。私は今のところtwitterを完全にやめる気はないけども(イーロン次第だが)。

 

本が好き

 

私は本を読むことは好きだけど、本ではっきりと救われた経験ってないし、本を人生をよくするために使いましょうみたいな言説には懐疑的だなー、と数年前まで思ってたんだけど、考えを改めた。

小学校入学して少しした頃くらいから、家にあった子供の教育本を読み始めた。これは児童書ではなく、親向けの「子供はこう育てましょう」みたいな本である。
母親は子供の教育とかに全然熱心ではなく、通知表なども持ってきたらとりあえず見るが一瞬で返してくるとかそんな感じだった。
そんな母のいわゆるママ友には、とても教育熱心な人がいた。母は彼女から「この子育て本いいよ~」とたくさんの教育本をもらってきていたのである。
しかし教育に全然熱心ではなかった母は完全にこれらの本を積読していた。断り切れずもらってきただけだったのかもしれない。
とにかく部屋の片隅で手つかずになっていたそれを、私は読み始めたのであった。私は当時まさしく本の虫で、とにかく活字があれば読む子供だったのだ。
というわけで教育本を読むと、「こういう子がいい子」とか「こう育てるといい子に育つ」とか「こう勉強させると頭がよくなる」とかいう内容が踊っていた。
私はそれを読み「こういうのがいい子なんだなあ」とその行動をトレースしたり、「こうしたら頭がよくなるんだなあ」と百マス計算を自主的にやった。
当時わかりやすく成果が出たのは勉学であった。百マス計算を継続したおかげで算数の成績が伸びたと思う。理系の才能がなかったので高校からはからきしだったが。
あとから気付いたが、「いい子になる」為の行動も、結構成果があったなと思う。私は今も昔もあんまりコミュニティになじめない人間だが、あの時「いい子」の行動をトレースして動いていたことで、回避できた嫌なことがたくさんあったことに気付いたのである。いじめられっ子だったけど、あの時思うままに行動していたらもっとひどいことになっていたと思う。当然どんな子供でもいじめられるいわれはないしいじめは許されるべきではないのだが、あの時止めてくれる大人もいなかった頃に状況を悪化させずにすんでよかった、と思う。

上記のことに気付いてから、「本ってめちゃくちゃ現実の生活の役に立つじゃん!!!!!!!!」と思った。
私は基本的にフィクションのエンタメ作品が好きだし、好きなものを楽しむことに意味をあんまり見出したくないと思っている。ただ好きだからやりたいのだ。そこに変な意味づけは持ちたくない。
ただ本がすごく役に立つことを私は身をもって体感していたので、「生活に生かす」為に本を読む人のことをあんまり忌避しないようにしよ~と思った。
特にフィクション作品を鑑賞する際になんらかの見返りを得ようとする人のことを私は今まであまり好きではなかったのだが、そのように本の可能性を狭める考え方を本が好きな人間がするべきではないな、と思ったので気を付けるようにする。
本には力があり、現実の人間を助けてくれることがたくさんあるのである。それはフィクション作品でも同じであり、フィクション作品をきっかけに人生を好転させて人もいる。逆にフィクション作品の影響で人生が悪くなった人もいるだろう。
私は本にそういう力があるところも含めて好きなのだ。
だからこれからも好きに本を読んで、生活の糧としようと思う。

 

アイドルマスターシンデレラガールズ この歌詞が天才!選手権01

※ランキング形式ではありません。順不同です。あと01ってあるけど、多分2回目はありません。
※2019年に書いた文章なので、最近の曲が無いのは許してください。

 


「あいくるしい」
マジで天才の歌詞。
「急になんか正解の風に流されたような」
というフレーズは凄まじい。繊細な歌詞の中で突然語彙力がなくなるんだけど、「正解の風」ってのは何の理由も、意味も、正当性もなく、吹くものなので、「なんか」を付けるしかないんだよな……。
「正解の風」、誰しもが一度は感じたことがあるでしょう。生きる為には従うことしかできない風を。
歌詞見てから「あいくるしい」というタイトルを見るとすごく悲しい。
ちなみに完全に百合解釈です。
いつか正解の風をぶち壊せる力が欲しい。

 


「アタシポンコツアンドロイド」
アタポンは天才が作った曲だから歌詞も天才に決まってんじゃん!
「ハート見せちゃグロいよね」
は「アイドルが自分の本当の気持ちをさらけ出すのなんてグロテスクだよね」という意味だと思って聞いています。「本当の気持ち」は恋心だったりするわけですよ。
「今日から不条理でキュートな女の子なんです」
ここは、「恋心を持ったアイドルは、アイドルとしてはグロテスクで不条理な間違った存在だけど、でもキュートだよ♡」という理解をしています。
私はアイドルの恋愛過激派(別名アイドルが恋愛して公表してもいいじゃん派)なので、そういう解釈をしちゃう。でもこれは多分そういう意図でしょう。メイド=アイドルの図式なんだと思う。
メイドがご主人様に恋しちゃうのは許されないし、アイドルがファンに恋するのも許されないからね。

 


「Absolute NIne」
担当に似合うので勝手に担当の曲だと思ってる。担当は歌ってないけどな!!!!
選挙曲だと一番好き。強いから。

 


「In fact」
橘ありすの歌として抜群の完成度なのだが、「叶わなかった恋を想っている歌にも聞こえるから美優さんに歌ってほしい」って感想見て目からうろこ出た。確かに……。美優さんのも聞きたいな。その場合めちゃくちゃ重いストーリーが発生しそう。

 


「ヴィーナスシンドローム
初めてちゃんと歌詞読んだけど……性欲じゃん……!!
「果てなく秘める 恋ならば 歌えぬ歌と同じ」
ここ千早さんみある。
女の性欲書いた作品は大体好きだから好きです。

 


「EVERMORE」
「仲間の数が増えてくたびに 叶う願いも増えていくね」
が強く突き刺さる。
Pはずっと自分の担当が活躍するのを待ってるから。
ステージに立ってくれる日を強く望んでいるから。

 


「always」
「always」はさー。好きなんだけどさ。やっぱ担当にこの曲を歌ってもらいたいと思うのはかなりエゴイスティックだと思うから言えないんだよね。
担当に
「私を見つけてくれて ありがとう」
って言われたらさ、泣いちゃうよ。でもそれを歌ってくれと要求するのはあまりにも傲慢でできないよー!!!!
ありがとうなんて言わなくていいよ。私が出会って見つけて選んだだけなんだから、感謝なんてしなくていいんだよ。 感謝をするのはこっちだよ。私と出会ってくれてありがとう。
……担当への重い感情が出てしまった。でもPはみんな担当に重い感情を持ってるよね!?「always」はそんな感情を噴出させる歌なんだ。
歌ってなんて言えないけど、でも担当にこの曲を歌われたら、そんなの絶対泣いちゃうよ。
すべてのアイドルに似合う曲だよな。

 


kawaii make MY day!」
あらためて歌詞見たんだけど、良過ぎて涙ぐんでしまった。
カワイイはエンパワメントであってほしいという願いを叶えてくれる歌です。
「ああ オシャレをしたから会いたいな 最初はあの人に見てほしくって」
が特に良いですね。あの人の為にオシャレをするんじゃなくて、オシャレをしたからあの人に見てもらいたいな、という流れなんですよ!はーかわいい。
「ああ ちょっぴりまつげが重たいな それなのにお空が明るくなった」
ここも天才ですわ。重たいまつげは多分マスカラの影響で、メイクすることがどんなに人を元気づけるかを表現してくれてるんですね。女子アイドルの歌として完璧にかわいい!正解!!
「別にモテたいワケじゃないんです ただ まっすぐ笑っていたいだ けなんです」
ここもさー「化粧するのは男の為なんだろ」というクソ言説への爽やかでかわいい反撃になっていて最高なんですよね。かわいいは強い!最高!
とにかくかわいい……かわいいが大正解してる歌ですよ「kawaii make MY day!」は。

 

 

お願い!シンデレラ
お願い!シンデレラ」は最高なんですよね(突然語彙力を無くすオタク)。
お願い!シンデレラ」は、ディズニーがここ最近やってるような、主体性がなく頼って守られるだけの女の子像に異を唱えることをやってる歌なんですよ!
このシンデレラは、自分で考え、自分で動き、自分の願いを叶える、その為に戦うお姫様なんですよ!これは戦いの歌なんです。
ここで歌われる「君」というのはPのことでもあるし、ファンのことでもあると思うんですけど、このシンデレラは「君」に頼り切ったり依存したりはせず「君」の「笑顔」や「願い」を自分の力に変えて走っていくんですよ。完璧!!Pはそれを応援しているからね!!!!
アイドル像としてめちゃくちゃ恰好良いんですよ「お願い!シンデレラ」は!こんな素晴らしい歌があるんだから運営は頑張ってくれ。アイドルの為に頑張ってくれ!

 


「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」
そんで「お願い!シンデレラ」の意志を引き継いでいるのが「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」ですよ。
「拓け! バックパックに希望つめて 自分の 足で歩け シンデレラ」
……強い!!
次世代のシンデレラだよね。こういう理想像を大人の男オタク向けコンテンツで見せてくれるのは本当に素晴らしい。デレマスが女子人気も高いのはそういうところもあるんじゃないでしょうか。シャニマスはコミュでもそういうところに気を使っているらしいし。デレマスはコミュはなんとかしてほしいですが……。
自立する女という理想像が男オタクでも支持されているの、まあ「強くてひとりでやっててでも男に優しくしてくれる女」という都合が良い理想像を含んでいるのかなとも思うんですけど、それでも「お願い!シンデレラ」や「ガールズ・イン・ザ・フロンティア」という、女の子をエンパワメントしてくれる歌を生み出しているのだから素晴らしいことですね。

 

 

というわけで「アイドルマスターシンデレラガールズ この歌詞が天才!選手権01」でした。

多分2回目はないって書いたけど、機会があったら書きたいです。私が楽しいので。

あとデレマスは早くサブスクでフルサイズいっぱい出して早く。